2012年07月31日

夏休み特別企画  蕎麦屋のショートショート 

    辛味大根 ― 合わせ鏡 ―   第一話


時分時(じぶんどき)を避けたので、客は親田(オヤダ)ひとりだけだった。

オヤダは無類の蕎麦好きで、注文はいつも「辛味大根」と決めている。
「辛味大根」は、すりおろしてから数分経った、とびきり辛いやつが好きだ。

蕎麦屋のおやじは、それを知っていて、いつも気持ち多めにつけてくれる。
その心づかいが嬉しい。
今日は、他に客がいないこともあって、「おろし」 も大盛りだ。

いつものように、辛さを十分堪能し、店を出た。
入口脇の濡れ縁に腰を下ろし、辛味の余韻に浸りながら一服した。
店の前が駐車場になっていて、脇にさるすべりの木が一本植わっている。
今の季節は、ピンクの花が満開だ。

「辛味大根、お好きなんですね。」
いつの間に座ったのか、オヤダの隣から、いきなり若い男が話しかけてきた。
ひどく痩せていて、蒼白い顔色をしている。まるで、寝起きの二日酔いだ。
しかも、夏だというのに、黒い革手袋を嵌めている。

「えっ? あぁ。」 オヤダは曖昧に答えた。

「スコブル辛い辛味大根、食べたいと思いませんか?
いまあなたが食べたおろしより、もっと旨いおろしを食わせる店があるんです。」

いきなり話しかけてきて、こんなことを言うなんて、変なヤツだ。
とは思ったが、辛味大根と聞いて、やはり興味がわいた。

「そんな店があるんですか?」

「ええ、ただ・・・。」

ただ、何だというんだ。

「十回 が限度かな。いや、十回通ったヒトはいないかもしれない。」
image04.jpg
やっぱりコイツ頭がおかしい。

「通う回数限定 なんて蕎麦屋、あるわけないでしょう。」

「それが、本当にあるんです。」

「いったい、どこにあるっていうんです?」

「鏡の中です。」

これは、妙なヤツを相手にしてしまったものだ。
こんなヤツに付き合っている暇はない。
オヤダは黙って自分のクルマに向かって歩き出した。
その背中を 男の声だけが追いかけてきた。

「合わせ鏡をつくって、その鏡の間に座っていてごらんなさい。 午前2時に店が開く。」



石臼碾き手打ち蕎麦 「 百日紅 」






ラベル:合わせ鏡
posted by 蕎麦屋の女将 at 02:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 蕎麦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「合わせ鏡の間に…」って、まさに星新一を彷彿とさせる感じですね。
続きが楽しみ〜!
Posted by ぶーぶ at 2012年08月01日 00:05
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